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Japanese Version

Voudou Asson Used to Call the Lwa

ロア(Lwa)の概要

 

「ロア」とは何か?

 

ブードゥー教の「天使たち」

 

このホームページを読んでいると、「ロア」という言葉をよく目にするだろう。彼らこそブードゥー教の神髄であり、私たちが行うことすべての基礎となっているからだ。最近ふと思ったのだが、あなた方はきっと「ロア」とは何かを知らないだけではなく、ハイチのブードゥー教において神がどのように捉えられているかも知らないのかもしれない。そこで、いくつか説明させてほしい。

 

ブードゥー教における神は、多くの場合、遠くに存在するもので、人間には容易に近づけないものと考えられている。そう、ブードゥーは伝統的な一神教なのだ。神はただ「あまりにも忙しい」という理由で近づけないと見なされることが多い。つまり、神は宇宙全体を気にかけなければならないため、やるべきことがたくさんあり、それゆえ近づけないというのだ。これは当然のことだろう。私たちは神をキリスト教のローマカトリック教派と同じように理解している。神は善良で優しく、愛に満ちていると。ほとんどのブードゥー教徒はカトリック教徒でもある。私たちは、ミサや教会の奉仕活動に参加している。神について、ひとつだけ確実に正しいことがある。私たちは神について聞く(ミサに行くとき)。神について聞くことはできるが、神を見ることはない。私たちは神を崇拝する。こういった理由で、神は私たちが「ロア」と呼ぶ精霊たちに力を与えているのだ。

 

「ロア」は、神とは異なるものであり、私たちが容易に近づける存在である。ロアは最も基本的な定義では、霊的な存在とされている。ロアは、憑依によって接触できる。これは悪魔的なものではない。憑依は、基本的にすべてのブードゥー教の儀式が達成しようとしているものだ。これは私たちが望むことである。私たちは憑依が起こるよう努めている。実際、カンゾー(ブードゥー教の入信式におけるひとつの試練)は、憑依を呼び起こし、入信者の憑依能力を高めることを目的としている。

 

私たち、ブードゥー教徒は、ロアを崇拝しているわけではない。ロアに仕えるのだ。私たちは、ロアの好む食べ物を捧げたり、ロアの色を身につけたり、ロアの聖なる日を(禁欲することで)祝ったり、ブードゥー教の儀式などを通じたりしてロアに仕えている。一方、ロアも私たちに奉仕している。彼らは私たちに物質的な恵みや、肉体の健康、保護、豊かさなどを与えてくれる。これは両面的な問題だ。私たちがいなければロアは存在しないし、ロアがいなければ私たちも消滅してしまう。

 

基本的な理解ができたところで、もう少し複雑な話をしよう。ロアは三つに分類される。これは、私たちが彼らに仕えやすくするためでもあるし、ロアのそれぞれの特性を定義するためでもある。これらのロアには、さまざまな共通点がある。ブードゥー教の慣例では、ロアは三つのグループに分けられる。

 

その第一がラダである。ラダの大部分が、ダホメ王国から生まれた。ダホメ王国は、現在ではベナン共和国として知られている。ダホメ王国から生まれたラダには、ダムバラー・ウェド、アイダ・ウェド、ソボなどがいる。彼らは、アフリカからハイチに渡ってきた精霊だ。ラダは冷静で落ち着きがあり、慈悲深いと考えられている。彼らが表す色は白だ。彼らの態度は、攻撃的というよりは防御的である。

 

 

ラダの儀式の最後には、アフリカのさまざまな地域から生まれたロア、とくにオグンによる奉仕がある。オグンは類似した精霊の家族のようなものであり、彼らはナゴ族の精霊である。いや実際には、彼らはナゴ族というよりも、ナゴ・ナシオン(国家)の精霊だとよく言われるのだが。とにかく彼らはナイジェリアからやってきた。この国から生まれた精霊には、オグン・シャンゴ、オグン・バタラ、オグン・バダグリ、オサンジなどがいる。これらのロアには、独自の太鼓の音や典礼、儀式がある。

 

第二のロアは、ペトロである。ペトロが表す色は、赤だ。彼らは攻撃的で、獰猛であり、敵に対しては素早く反応し、魔術の速さにおいてはとりわけ抜きんでていると考えられている。ラダとペトロの決定的な違いは、その出自である。ペトロはコンゴやクレオールの精霊、またはほかのアフリカのさまざまな部族から生まれたものだ。ペトロの儀式には、多くの部族が参加する。たとえば、イボ族やワンゴル族、コンゴ族などだ。ペトロの起源もまた、曖昧なものである。ペトロの中には、マリネットというロアもいる。マリネットは、かつて実在した人間だ。彼女はボア・カイマンという森で行われた儀式において、エジリ・ダントを憑依させ、メスの黒豚を生け贄に捧げた。そして、それがハイチ革命の始まりとなったのだ。

 

第三のロアは、ゲーデだ。彼らはバロン・サムディとママン・ブリジットの家族と考えられている。ロアであるバロン・サムディとママン・ブリジットは、死者の霊に再生をもたらす。それがゲーデとなるのだ。ゲーデは無数に存在する。これほど多く存在するのは、彼らが常に再生されているからだ。また、「ラシン」(ルーツと見なされるもの)とされるゲーデも存在する。そのひとつが「勇敢なゲーデ・ニボ」で、これはしばしば始祖と見なされる。

 

こうした三つのロアのほかに、ジャブdjab)という存在もある。攻撃的な態度のロアが、ジャブと呼ばれることもある。だが通常は「ジャブ」といえば、個人につく精霊のことを指す。つまり、特定の人物につく精霊だ。多くの場合、人間とジャブは、魔術の契約によって結ばれる。ジャブは魔術的な要素が強く精霊としての要素はあまりない。彼らは敵を追い払い、富を増やし、そのほかの物質的な成功をもたらす。ジャブは、自分が人間にしてやった奉仕が軽んじられると、すぐに罰を与えようとする。そしてまた、ジャブはかなり厳しい罰を仕える者に与える。その罰には死刑も含まれる。私が受け継いだジャブもいて、それはここで確認できる:

エンパワーメント(Empowerment

 

以上が、儀式におけるロアの分類だ。さて、あなた方は、儀式においてロアがどのように奉仕されるかを理解する必要がある。多数のロアが、さまざまな民族に由来している。彼らには独自の太鼓の音や典礼などがある。